4番でエース――。明徳義塾高(高知)時代に甲子園で名をはせたかつてのスラッガーが、昨秋のドラフト会議でプロ入りを果たした。持ち味は一転して「俊足」。西武のルーキー岸潤一郎(23)はいったんは野球から離れたが、独立リーグ・四国アイランドリーグ(IL)plus徳島でのある出会いが、プロにつながった。
1年夏で甲子園のマウンドに立ち、「4番・投手」で挑んだ2年夏は大阪桐蔭高の夏連覇を阻む完投勝利。主将となり、春夏連続で甲子園に出場した3年では、本塁打も放った。だが華々しい岸の経歴は、進学した拓殖大で暗転した。
拡大する第96回全国高校野球選手権大会で登板する明徳義塾の岸=2014年8月、井手さゆり撮影
「野球をやりたいと思えない」
「最初に肩を痛めて、それをかばいながら投げているうちに、今度はひじ。その繰り返しでした」。大学2年で右ひじ靱帯(じんたい)の再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受け、その後はリハビリの日々。それでも思うように投げられず、「野球をやりたいと思えなくなった」。3年で中退した。
1年間のブランクを経てトライアウトに合格し、四国IL徳島に進んだ。だが、その理由も親の期待と徳島からの勧誘で、自発的なものは何一つなかった。当時を知り、後に恩師となる徳島の橋本球史(きゅうじ)野手コーチ(28)は「イメージは悪かった」と振り返る。
「すぐに練習を…
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April 20, 2020 at 03:53PM
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「やる気ない」から始まったプロの道 西武・岸の転換点 - 朝日新聞デジタル
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