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Friday, May 29, 2020

スイスが孤立の道を歩んだ時代 - swissinfo.ch

Soldaten

1945年の終戦後、休暇を終え嬉しそうにルツェルン駅を発つ米国兵士たち。兵役の報奨として、米政府からスイスでの団体旅行が認められた

(Keystone / Str)

第二次世界大戦が終結した1945年、欧州をはじめ世界の多くが廃墟となったが、スイスは比較的裕福な状況だった。歴史家のヤコブ・タナー他のサイトへ氏にスイス戦後史と欧州との関係を聞いた。

swissinfo.ch:第二次大戦で死者は5千万人を超え、都市は爆撃され景観は壊れ、経済も破滅し、世界中で亡命や追放が起きました。1945年、多くの国は全てを失いました。スイスはどのように終戦を迎えてたのでしょうか?

チューリヒ大学社会経済史研究センター名誉教授のヤコブ・タナー氏(69)。第二次大戦中のスイスの中立性を調べた独立委員会「ベルジエ委員会」の委員を務めた、スイスで最も重要な現代史家の一人。

(Keystone / Steffen Schmidt)

ヤコブ・タナー:安心感が国を覆い、至る所で教会の鐘が鳴り響いた。社会は行き詰まっていた。次に何が起きるか全くわからなかった。経済的には、スイスの建築物は無傷で、産業も稼働していた。一方で、社会のムードは二極化していた。戦争の半ば以降、労働争議が増え、未来を懸けた闘争が始まった。全体として、戦後は開放感が大きかった。

swissinfo.ch:第二次世界大戦でスイスはどのような役割を果たしましたか?

タナー:スイスは戦場となった欧州から逃れることはできなかった。スイスは取引所、金のハブ、スパイが集まる場所、逃避資産の安全な避難先、迫害された人々の避難所として機能した。ただ政府は1942年、「ボートは満員だ」として亡命者に対し国境を閉ざした。

swissinfo.ch:特にドイツとの関係は論争の対象となりました。

タナー:スイスにとって枢軸国との経済関係は重要だった。枢軸国は労働市場を緩和し、枢軸国からの輸入のおかげでスイスはアルプスの要塞となることができた。スイスがそれによって戦争を長引かせることはなかった。経済的な力が小さすぎたからだ。だが後に、多くのナチス軍、特にニュルンベルク裁判で裁かれた者たちが、スイスで減刑嘆願書を書かせた。

swissinfo.ch:第二次世界大戦のような世界規模の激しい戦争は、ある日突然終わることはできません。そのため「戦後」は長く続いてきました。長い「戦後」はスイスにどのような影響を与えたのでしょうか?

タナー:1948年までに重要な方向付けがあった。女性たちは終戦時、自分たちの多大なる努力が投票権という形で報われると期待していた。だが連邦議会は、民主主義は男性が扱う問題だとの見解を明確にした。結局、半民主主義が温存され、1971年まで男性の兵役を過大評価し、女性に投票権はなかった。

swissinfo.ch:同時に、新しい国際秩序が誕生しました。

タナー:スイスは国連の設立を注意深く追いかけていた。1920年に国際連盟に加盟し、1945年も中立の小国が新しい安全保障体制に依存していることは認識していた。だが国連への加盟はすぐに片が付いた。スイスは「技術的に」下部組織と定義された機関に関与していたが、政治的には距離を置きたがった。

swissinfo.ch:欧州とも?

タナー:スイスは戦後、欧州で起きた運動が集結する場所だった。だが国家レベルでは単独で進めた。当時人気があり、今も人気なのは、スイスが欧州化する前に欧州がスイス化する必要がある、という考え方だ。

swissinfo.ch:スイスはこの間、長らく自身を「特例」として語ってきました。1945年以来、極めて独特な発展を遂げました。

タナー:そういった例外主義はどこの国でもみられる。その意味では「特別な道」しかない。スイスは1945年、物事を正当化する強い圧力のもとにあったため、そのような説明を編み出した。「特例」としてスイスの中立性を取り戻そうとし、この論法は特に国内政治で大きな反響を呼んだ。

swissinfo.ch:そこには多くの共通点がみられます。

タナー:例えば欧州各国で似たような名を冠した経済の奇跡が起きた。福祉国家、人権、移動・購買・結婚行動など、いずれも同じような道のりを通って現代型の消費・余暇社会に発展した。スイスは経済的に他の欧州諸国と密接に結びついているだけではない。国外から数十万人の労働者が流入し、スイスの急成長を可能にした。中立的な立場をとっているにも関わらず、スイスは当然のように自身を西側諸国の一員だと捉えていた。

swissinfo.ch:もう一つの類似点は共通の断絶です。最大の変化は1970年代に起きました。

タナー:1971~73年のブレトンウッズ体制の崩壊と変動相場制への移行が欧州通貨ユーロの基礎を築いた。同時に、数十年続いた好況が終わり、新しいグローバルな金融市場資本主義が登場した。いずれもスイスに影響を与え、権力構造を根本的に変えた。文化、経済、軍事、政治分野で兼業により多重の役割を負う旧式モデルは朽ち果て、経済界においては経営層も株主も飛躍的に国際化した。

swissinfo.ch:冷戦の終結も一つの転換点になりました。

タナー:一見すればそうだ。経済の国際化により、スイスは国の神話に残るほどの後退を経験することになった。1992年、連邦内閣は欧州共同体への参加申請書を提出した。だがその年末、クリストフ・ブロハー氏率いるイニシアチブ(国民発議)により、欧州経済圏への加盟はとん挫した。それ以来、人道的、中立の小国・スイスというイメージは精神的にEUと離れて実現するしかなくなった。それは今も続いている。

swissinfo.ch:2020年の今、1945年以降に登場した価値や制度が危機に瀕しているとの声が多くなっています。

タナー:それは現在やコロナ危機をどう判断するかにかかっている。メディアでは緊急権や第二次大戦中の不確実性との関係が絶えず取り沙汰されている。だが戦争との比較は不適切だ。こうした比較は誤った解決策しかもたらさない。むしろ、1945年以降に基本計画が策定され驚くほど安定したことを知っておくべきだ。国連や1948年に設置された世界保健機関(WHO)は今も重要な役割を担い、「グローバル・ガバナンス(地球規模の統治)」という考え方はこれまでになく新味がある。

スイス多国間主義の100年 国際連盟から国際連合へ、スイス孤立主義の終焉

100年前、スイスは国際連盟に加盟すべきか否かの重大な決断を迫られた。1920年のこの歴史的な国民投票と、国際連盟の後継である国際連合への加盟が問われた1986年と2002年の国民投票とでは、スイスの中立と孤立主義に対する姿勢に変化が見られた。 ...


(独語からの翻訳・ムートゥ朋子)

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