「映画はどこでも作れる。そして国境はない」を実践する大田原愚豚舎
「映画はどこでも作れる。そして国境はない」。このことをいま一番実践している日本人監督が、渡辺紘文かもしれない。映画監督の彼と映画音楽家の弟、雄司が旗揚げした映画制作団体「大田原愚豚舎」は、兄弟の故郷である栃木県大田原市を拠点に独自の映画創作活動を続け、2013年からほぼ年1本のペースで作品を発表。田舎町で生きる人間を慈しみ、そのありふれた日常を愛おしく収めたモノクロームの映画は、今年、イタリアとアメリカで特集上映されるまでの広がりをみせている。
栃木県大田原から世界へ。独自の道を歩む渡辺監督のインタビューを2回に分けてお届けする。
昨年に続き開催となった「異能・渡辺紘文監督特集―大田原愚豚舎の世界Vol.2―」だが、注目はやはり新作。今回は、2本の新作が劇場初公開される。
1作目からの大切な出演者、昨年102歳で亡くなった祖母への想い
1本目の『叫び声』は昨年の東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門で監督賞を受賞した1作。この作品が生まれた経緯を渡辺監督はこう明かす。
「この作品が生まれた経緯は、自分の祖母に関わるところが大きくて。僕の祖母は昨年102歳で亡くなったんですけれども、第1作の『そして泥船はゆく』からずっとすべての作品に出続けていたんですね。
ただ、昨年、祖母がいよいよ危ないという話になって。何といえばいいのかわからないんですけど、祖母が亡くなってしまうというある種の予感がある中で、生活することがすごく苦しかった。映画に触れてないと自分の正気が保てないぐらい、精神的に追い込まれたんですね。
そのときに、『プールサイドマン』と同時進行で撮影していた作品があって。豚舎で働く男の話なんですけど。その映像が思いだして、それを使いながら、祖母の生活を中心においた作品をつくれないかと思ったんです。なぜ、その二つが結びついたのか、自分でもよくわからない。そのときの記憶がほとんどないんですよ。とにかく結びついて、その苦しい時期に、恐らくそれほど長い時間かけないで編集して完成させたのが『叫び声』なんです」
途中退席者続出の「七日」のリベンジがまったく別の映画に
当初、『プールサイドマン』と同時進行で撮影していたときは、まったく別の内容で考えていたという。
「『七日』という作品があるんですが、これは牛舎でずっと働いてる男の物語。僕たち大田原愚豚舎の2作目として東京国際映画祭で『そして泥船はゆく』に続いて上映されたんですけど、途中退席者が続出したという映画で(笑)。
もともとは『七日』のリベンジをしなくちゃいけないなと考えていて、設定は『叫び声』に踏襲されているんですけど、セリフなしで、男の7日間の生活を描くというもの。ある種『七日』のセルフリメイク的なことを考えていたんですね。
ただ、作っている段階で、リベンジって考えてみたらくだらないことだなとの思いが出てきたりして、これをまとめたところでいい作品にはならないんじゃないかと。それで、ちょっと塩漬け状態になっていたんです。
その映像に、なぜか祖母との生活を合わせたくなって、気づいたらこんな作品ができていた。ですから、当初考えていたものとはまったく別の作品になりました」

ちっぽけな世界を肯定したい
描かれるのは、年老いた祖母と暮らす豚飼いの男の1週間。彼は日中は黙々と働き、夜になると本を読み、なにか書き物をすると、週末の日曜日には映画館にいって英気を養う。
毎日同じ繰り返しのようにも見えれば、ちょっと変化しているようにも思える日常が愛おしく優しい視点で見つめられている。
また、男の生活にちょっとした彩を添える文学や映画は、文化は特別なものではない、生活に寄り添い、人々の傍らにあって心を豊かにしてくれるものであることを物語る。
「傍から見ると、この男は、祖母と暮らしていて、孤独でただただ働き続けているだけに見えるかもしれない。
でも、彼には彼の世界があると思うんですよね。ちっぽけな世界かもしれないですけど。そこを肯定したい。
アートってなにか都会の洗練されたものから生まれてくるようなイメージがありますけど、そうではない。地方からだって生まれるし、ミニマムな世界観から生まれるものもある。都会人だけのものではないし、田舎の人間にとって縁遠いものでもない。
それから、都会にいる人間だけが文化的な生活を送っているわけではない。田舎の独自の伝統も一つの文化でそれも文化的な生活だと思います。そういうことを意識したところは少しあるかもしれません。
あと、自分自身、文学や映画にすごく助けられてきたところがある。そういう思いが反映されているところはありますね」
渡辺紘文監督作品の代名詞となってきた反復の美学
この同じように映るシーンの繰り返し、反復は、渡辺紘文監督作品の代名詞になりつつある。
「こういう反復で構成するような映画を作る気はまったくなかったんですよ。日常の繰り返しを描いていく中で、そこでみてとれる小さな変化とか、見過ごしてしまいがちなことに気づいた。それを表現したいと思うようになったんですね。
最初にやったのは『七日』だったんですけど、このときは、すべてコピー&ペーストで映画をつくってしまえといったような結構遊び半分の思い付きで始めたんです。
小説ではそういう表現をやってる人もいる。だったら映画もありで、1日を15分の映像にして、コピー&ペーストして1週間にしたら、100分の長編になるだろうみたいな。企画の段階ではそんなことを思っていたんですけど、実際に撮り始めたら、すべてのカットが同じにならない(笑)。そこで生じる多くの人は気付かないかもしれない、小さな変化が僕はすごくおもしろくなった。そこで最初のふざけた気持ちみたいなものは吹き飛んでしまって、そうした小さな変化をつぶさにみて、日常をちゃんと丁寧に撮っていこうと思うようになっていったんですよね。
『地球はお祭り騒ぎ』という自分の作品で、オノ・ヨーコさんが撮った実験映画『ナンバー・4』をちょっとディスってるシーンがある。この『ナンバー・4』は、90分間かな、人間のお尻のショットをずっと続けているんです。『これも映画と言ってしまうんだ』というのが自分の中にはあって。自分にも、そういう映画を作ってみたい気持ちがなくはない。
ただ、現状は日常の繰り返しみたいなものに関しては、現代アート的な表現でやるよりも、もっときちんと人間の生活っていうものを拾い上げてくほうが、映画として面白いなと。ちょっと食べているご飯が違ったり、天気が違うことも、きちんとみると小さな世界や小さな宇宙が広がるようなところがあっておもしろい。そこを突き詰めたい気持ちがあります」

これが祖母との最後の作品になるだろうと感じながら
もうひとつ、作品からは、祖母への思いがひしひしと感じられる。
「これが祖母との最後の作品になるだろうということをどこか感じながら作っていたことは確かです。
これまで、僕は祖母とずっと一緒に映画を作ってきました。でも、祖母との生活だけを描いた映画は『七日』だけ。そこで、もう一度、祖母との生活を映画で描いてみようという思いが『叫び声』につながったところがあります」
それぐらい祖母、平山ミサオさんの存在は大きかったという。
「自分が生きてきた中で、祖母はもっとも影響を受けた存在かもしれません。だから、個人的なことではありますけど、祖母と生きてきた証を映画に遺したかったというのも、僕が映画を作ってきた理由のひとつです。
その中で、『叫び声』というのは、ひとつの節目というか。祖母と作ってきた映画の集大成的な意味も込めて完成させたところがあります」
大田原愚豚舎を旗揚げしたときから、祖母とともにという考えはあったという。
「祖母の自然なたたずまいを撮りたかったんです。
第1作の『そして泥船はゆく』は、渋川さんが演じるキャラクターと祖母の存在を一緒に撮ったら何かすごい化学反応が起きるのではないかと考えて、祖母に映画に出演してもらうことにしたんですね。それからはじまって、ずっと続いていくことになった」
「叫び声」は自身にとってひとつの区切り。この作品を作らないと次にいけなかった
その上で、『叫び声』は自身にとってひとつの区切りの作品になったという。
「自分にとってひとつの区切り、祖母との最後の映画作りになるのだろうなと思っていました。結局、『叫び声』というタイトルも自分の当時の悲しみが置き換えられているところはあると思います。
だから、自分の映画は、すべて実は喜劇だと思ってるところがあるんですけど、『叫び声』に関しては、そういえないところがある。祖母に対するレクイエムがある。また、この作品を作らないと次にいけなかった。そういう意味で、祖母をきちんと見送って、自分を次へと前に向いた作品でもあると思っています」
主演の璃子ちゃんは、弟の音楽教室の生徒
もう一本の新作映画は『わたしは元気』。こちらは、主演の久次璃子ちゃんとの関係から生まれた。
「主人公の久次璃子ちゃんは、大田原愚豚舎を一緒にやっている弟で映画音楽家の渡辺雄司が地元で音楽教室をやっていて。そこの生徒さんなんです。
最初はすごく人見知りな子だったんですけど、うちに出入りしてるうちに、なんとなく仲良くなって。僕らが映画を作っていることを知ったら、興味を持ち始めて、『じゃあちょっと映画出てみる?』と誘ってみたら、『うん、出る』みたいなことになって、『地球はお祭り騒ぎ』から出演者のひとりになったんです。
で、『普通は走り出す』を作ったときに、出演者リストを璃子ちゃんが見て、『この中で主役は誰なの?』と言ったんですね。それで、『主役は僕なんだよ』と返したら、『私が主役がよかったのに』と(笑)。
それで、『じゃあ、璃子ちゃんを主役に何か1本映画を考えてみようか』となったのが、出発点です」

作品は、栃木県大田原市で暮らす小学校3年生のりこちゃんの日常が綴られる。どこかドキュメンタリーのようにも映るほど、自然なありのままの光景が広がる。
「一応、脚本はあって、話の流れみたいなのはあります。
脚本は璃子ちゃんと作っていったというか。そもそも僕は子どもの生活というのがまったくわからない。なので、璃子ちゃんに聞いたんです。『脚本を書かなきゃいけないから、璃子ちゃんの1日の生活のだいたいの流れを教えて』と。
『璃子ちゃん、朝起きたら最初に何やるの?』と聞いたら、『朝起きたら階段降りて、1階に行って、リビングでまたもう一回寝る』といったんで、そのままのショットにしたりといった具合に、璃子ちゃんに聞きながら生活の描写を作っていきました。
そこにちょっと友達の家を行ったり来たりするエピソードを加えたり、僕が演じている変なセールスマンを入れてみたりして、ひとつの物語が完成させた形ですね」
自然な子どもの行動を収める驚き
サッカーを楽しむシーンや、道端をひとりで歩くシーンなど、ほんとうに自然な姿で収められていることに驚かされる。
「歩き方とかも特に指示はしていなくて。『この道をずっと歩くから』ということぐらいしか言っていないです。
石を蹴っているシーンが入っていますけど、あれは璃子ちゃんが撮影に飽きちゃって(笑)、不機嫌になって蹴り始めた(笑)。おもしろいと思って、撮影してそのまま使っちゃたんです。
璃子ちゃん自身がすごくいつも自然でおもしろいんですよね。それがそのまま出ているだけで。僕はなにもしていない(苦笑)」
家族で夕飯を食べるシーンは、長回しになっている。
「このシーンも結果的にそうなってしまったというか。璃子ちゃんとお兄さんの啓太くんと、お母さんも実際の璃子ちゃんのお母さんなんですけど、ここで食卓囲んで日常会話をしてくださいと状況を与えただけなんですよね。
何度かテイクを重ねて、OKテイクは最後のものだったんですけど、このときは、3人の会話が止まらなくなってしまった。あまりにおもしろいので僕もカットをかけられなくなって、それでそのまま使うことになったんです。
ほんとうに長回しにするつもりはなくて、なんかスタートしたらどんどん会話がはずんで、しかも、みんなカメラが回っているのも忘れるぐらい自然な表情と会話になっていった。僕はそれをとらえただけなんですよね(苦笑)」

どこか作品はジャック・タチを思わせる。
「ジャック・タチも大好きな映画監督のひとり。彼の作品も特に大きな出来事が起きるわけではない。でも、映画をみていると、自然にゆったりとした時間が流れて幸せな気持ちがある。そういう、ジャック・タチの作品っぽい世界は確かに意識したかなっていうところはちょっとあるかもしれないですね」
今回は、自ら撮影を担当している。
「これは緊急措置といいますか(笑)。ほかの作品の撮影はすべてバン・ウヒョンという韓国のカメラマンが担当しています。彼とずっと組んでやってきたんですけど、このときはほんとうに忙しくて来日できなかった。あと、璃子ちゃんは学校があるので、まとめて撮影する期間が取れない。だから3カ月ぐらい拘束して日本にいてもらうことになってしまう。当時、彼は新婚で『冗談じゃないよ』みたいな感じだったので(笑)、今回は自分でカメラを回すしかないなと。映像の確認はしてもらうようにしたんですけどね。
撮影はむちゃくちゃ大変でした。特に専門で勉強したわけでもなくて、アングル一つ決めるにも、探り探りで。これまでは演出に集中すればよかったんですけど、そうはいかなかった。でも、非常にいい経験にはなりましたよ。その後、『蒲田前奏曲』の中の1作『シーカランスどこへ行く』も続けて、自分で撮影してるんですけど、そこへつなげることができた。このときは、ウヒョンに子どもが生まれたといって『全然来れない』ということになってしまったんですけど。
いつまたタッグを組めるんだっていう感じなんですけど、僕としては本来はいてほしい。隣に彼がいるだけで心強いので、一緒にやりたいんですけど、『普通は走り出す』以降、うまく都合が合わなくて、『わたしは元気』と『シーカランスどこへ行く』は自分で撮影をやることになりました。
少し待てればよかったんですけど、子どもってほんとうに成長が速い。顔つきも変われば、性格も変わってくる。いま、このときの璃子ちゃんをとらえたい気持ちがあったので、待てなかったんですよね。このときの璃子ちゃんじゃないと撮れないものを撮りたかったので」

祖母のあとを、璃子ちゃんが受け継いだかも
確かに渡辺監督が璃子ちゃんのことをつぶさに見ていることは作品からも伝わってくる。
「おもしろいんですよ。これまで子どもを中心にした映画は考えたことがなかったんですけど、実際やってみるとこっちの想像を超えてくることを言ったり、予想もしない行動をとったりするので、子どもは非常に刺激的な存在だと思いました。
『地球はお祭り騒ぎ』『普通は走り出す』と出演してもらって、今回、主人公を演じてもらって、『シーカランスどこへ行く』も続けて主役。大田原愚豚舎の看板女優になるべくしてなったなと感じています」
これまで大田原愚豚舎の主人公だった渡辺監督の祖母のあとを引き継いだのかもしれない。
「ほんとうにそういだと思います。今までは祖母が大きい存在でした。いなくなって、次どうするとなったとき、璃子ちゃんがいたから撮る気になったっていうのはあるかもしれないです」
(※後編に続く)

「異能・渡辺紘文監督特集―大田原愚豚舎の世界Vol.2―」
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場面写真およびポスタービジュアルはすべて提供:大田原愚豚舎
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November 03, 2020 at 04:00AM
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