八十二歳の父は内科医です。今でも鎌倉の実家を離れ、新潟県内の病院に単身赴任で勤務しています。
本当は医学以外の学者になりたかったようですが、幼いころ両親を病気で亡くし、残された三人の姉を養うため、医者を志したそうです。私が生まれてからも大学時代の奨学金を返済していたので、苦労したのだと思います。
私が子どものころは、埼玉県内の病院に単身赴任していました。たまに家に帰ってきたときも、急患があるとすぐ戻ってしまう。「大きい地震があったら、家族より患者の元に行くの?」と聞いたら、「もちろん」と言われ、あまりにショックで、新聞に投書したこともあります。
それでも、私にとって父はヒーローでした。電車の中で具合が悪い人を見かけると、自ら進んで応急手当てをしていました。私は目の前に困っている人がいても声を掛けることしかできないけれど、父は実際に助けることができる。そのすごさにだんだん気付き、寂しさより尊敬の気持ちが大きくなりました。
実家は「医者の家庭」と一般にイメージされるほど裕福ではありませんでした。母は薬剤師でしたが、姉と私、弟の三人を育てながらフルタイムで働くのは難しかったようです。実家のローンの返済や三人の子どもの教育費のため、家計をやりくりしていました。
だから、両親には「身の丈に合った生活をしなさい」とよく言われました。私は四年制大学に行きたかったのですが、母から「経済的に厳しい」と言われ、短大を選びました。ただ、短大でも取れる資格として栄養士があることも同時に教わりました。後に母から「あの時はごめんね」と言われましたが、短大で栄養学を学んだことが、いまの仕事につながりました。
お金がなくても工夫すれば道は開けるという考えは、大学四年生の娘と高校一年生の息子にも幼いころから教えてきました。娘は医者を目指して、都内の私立大医学部に通っています。私は当初、学費のかさむ私立への進学には反対でした。でも、娘は学費免除の特典もある都の奨学金制度を見つけてきて、合格しました。簡単にあきらめない気持ちを褒めてあげたいです。
息子は今、新型コロナウイルスの影響で高校が始まらないので自宅で過ごしています。家だと勉強に集中できないみたいで、高校の制服に着替えてから机に向かうなど自分なりに工夫しているのがほほ笑ましいです。自分で考え行動した方が気づきは大きいです。その感動を子どもたちには多く体験してほしいです。
<いまいずみ・まゆこ> 1969年、徳島市生まれ。神奈川県鎌倉市で育つ。管理栄養士として大手企業や病院、保育園で勤務した後、2014年に管理栄養士の会社を起業。災害時に役立つ簡単レシピの開発に力を注ぎ、関連の著書多数。本紙生活面で毎週第1土曜日に「備えあればうまし サバメシ」を連載中。
聞き手・添田隆典/写真・川上智世
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April 26, 2020 at 06:43AM
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家族のこと話そう>工夫で道を示した両親 管理栄養士・今泉マユ子さん:暮らし(TOKYO Web) - 東京新聞
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