◇ 星稜高 陸上競技部 深浦隆史顧問
社会人になりたての二十代前半のころ。勤務先の民間企業で仕事の成果を出せず「出口の見えないトンネルで、もがいていた」。そう振り返るのは、星稜高校(金沢市)陸上競技部で顧問を務める深浦隆史教諭(42)だ。
福井県武生市(現越前市)出身。中学時代は棒高跳びで当時の県中学記録をつくり、敦賀高では全国高校総体にも出場した。金沢大教育学部(現学校教育学類)を卒業後に選んだ道は教員ではなく、教育系の企業への就職だった。
営業職で、給与は歩合制。契約件数がゼロの月もあり、金銭的にも精神的にも苦しんだ。深夜まで働き、ふりかけをかけただけのご飯を食べてしのぐこともあった。「いつまでこうして生きていくのか」。絶望感の中で日々を過ごした。
就職から二年がたった五月。「教員になろう」。きっかけははっきりと覚えていないが、そう決断し、会社を辞めた。七月の教員採用試験まで二カ月。「妥協はできない」。家にこもり、ひたすら勉強した。
講師の経験はない。その分、民間企業で働いた経験を面接や小論文で売り込むことに力を注いだ。合格の連絡を受けたときは「まぐれが起きた」と思った。
翌年から石川で中学校教諭となり、陸上競技部の顧問に。二校目に赴任した津幡南中では、二〇一五年に全国中学校駅伝大会の女子の部で、チームを過去最高の二位に導いた。一六年から公立学校教員の立場を離れ、私立の強豪、星稜高へ。全国で戦える地元選手の育成に励んでいる。
二十代を振り返ると、どん底から抜け出せたのは「志を持って覚悟を決めたから」だと感じる。「自分がこうなりたい、実現したいという思いがあるから、そこに到達できる。そのための努力を怠らなければ、道は開けるのではないか」
今の中学、高校の三年生は部活動の集大成を披露できるのかが不透明な上、進学や就職に向けた授業もままならない。「先の見えない不安」は、苦しんだあのころの自分と重なる。生徒たちに大事にしてほしいのは「置かれた状況の中で、自分が幸せになる方法を探す」こと。「ここで終わりじゃない。この先、まだまだチャレンジできる」と伝えたい。(小坂亮太)
<1> 右上 <3> 右下 <4> 左上 <5> 左下 |
<1>片脚で前傾する場合。3秒ほどかけて1回行い、10〜20回。両脚立ちや膝立ちの場合も同様
<3>片脚立ちで反対の脚を30〜40度開く。反動はつけない
<4>片脚立ちで反対の脚を前後にゆっくりと振る。腕も走るときのように振る
<5>膝立ちでする場合。ハードルを越えるイメージで反対の脚を後ろから前へ運ぶ。立った場合も同様=いずれも深浦教諭提供
〜 体幹鍛え 動作安定を 「自宅でレッスン」 〜
深浦教諭が勧める「うち活」は体幹トレーニング。「インナーユニット」と呼ばれる腹部の筋肉を重点的に鍛え、姿勢の安定性や、上半身と下半身の連動性を高める。
クッションの上に立った状態と、膝立ちで、それぞれ同じ動作を行う。どちらも、へその下を締める感覚を保つ。力を入れたいときに息を吐く。クッションが厚く柔らかいほど、体への負荷が増す。
<1> 直立の姿勢を保ち、ゆっくりと体を十センチほど前に倒し、ゆっくりと戻す。腰は曲げない。片脚立ちでも同様に。各十〜二十回。
<2> 直立の姿勢を保ち、走るように腕を振る。片脚立ちでも同様に。各五十〜百回。
<3> 片脚で立ち、反対の脚を横に開いて、閉じる。十〜二十回。
<4> 片脚で立ち、反対の脚を前後に振る。走るように、腕も合わせてゆっくりと。十〜二十回。
<5> 片脚で立ち、ハードルを越えるイメージで反対の脚を後ろから前へ。逆回しも。各十〜二十回。
「体幹の強さは走るなどの動作の安定につながり、どの競技にも必要な要素」と深浦教諭。自宅での気軽な運動にもなる。
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May 25, 2020 at 09:05AM
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覚悟で道は開ける 不安でも挑戦続けて - 中日新聞
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