全力で駆け巡ったJリーガーとしての1095日。12月20日のJ3最終節。交代ボードに背番号「41」が掲げられた瞬間、僕はあふれる涙を必死に堪えた。それは交代することの悔しさでも、ピッチから去る寂しさでもない。戦い抜いた1095日に対する感謝と、スタンドからの大きな拍手に対する感動からだった。
18歳のオニエ・オゴチョクウとの交代も感慨深いものがあった。24歳年下の彼は僕にとっては息子みたいな存在。18歳という年齢で母国ナイジェリアを離れて戦っている彼は、どこか僕がブラジルで戦っていた姿と重なるものがある。オニエ、世界は広い。広い視野で世界を駆け抜ける選手になってほしい。
メンバー交代をした後、監督や選手と抱き合い、僕の目は涙であふれていた。最後にパーソナルトレーナーの奥村が僕を迎えてくれた。2年間共に戦ってきた彼との抱擁のあと、僕はロッカールームへと入った。そこで号泣した。1人で涙のロッカールームとなった。
僕はこの3年間で多くの経験を手に入れた。そこには日本サッカー界の未来があった。僕の率直な感想を誤解を恐れず伝えておこうと思う。これからの日本サッカー界は衰退していく。それは今まであぐらをかいてきた協会関係者やクラブ関係者、そしてサッカーさえできていればいいと考える選手とテクニカルスタッフ。コロナで見て見ぬふりをしてきた現実が360度どこを見ても見えるようになってしまった。クラブ経営は厳しくなり、お願い営業ばかりのスポンサー集めは限界を迎えた。そして、選手の意識はプロフェッショナルと思えないところまで沈んでいった。一連の不祥事は日本サッカー界そのものを表していると思う。
どうしてもスポンサーに頼らなければならないサッカー界だが、このコロナでスポンサーをつなぎ留める術がなくなった。苦しいのはサッカー界だけではない。そんな中で「お願い」では引き留めることはできない。しかし、今更スポンサーメリットなど見つけられない。その結果、見て見ぬふりをする。「費用対効果など出さない」。そう言っていたクラブスタッフの言葉を思い出す。それはやぶ蛇だからだ。
以前、研修で訪れたドルトムントでは、10歳で人生のABCプランを立てさせる。そのうちのひとつにサッカーではない仕事を想像させる。ドルトムントで下部組織からトップまで昇格できるのは一握りの選手だけ。その他の多くの選手は昇格できない。もちろん他のクラブへ行くことはできるが、多くの選手はそれを望まないという。それは、ドルトムントに関わり、育ててもらった恩をクラブへ返したいという想いが強いからだと言う。人生のABCプランを立てさせることで、サッカー選手ではない自分を想像し、その結果ドルトムントのスポンサーになるという流れができているようだ。
日本にもこんな育成方法があったらすてきだと思うが、それは無理な話だ。海外クラブは子どもたちに投資をしている。必要な設備なども含め、アカデミーへの投資額は大きなものだ。日本の場合はどうだろうか。投資というよりは、子どもたちからお金を集めて、クラブ経営やコーチの人件費に充てている。子どもたちの夢でクラブとスタッフが生き延びる流れは本当に健全なのだろうか。
そして一番の問題は、サポーターとファンの違いを理解していない選手やクラブが多いということ。サポーターとはクラブに貢献できる選手を応援する人たち。ファンとは自分に影響を与えてくれる選手を応援する人たち。それはゴール裏とメインスタンドに分かれると言っても過言ではない。
僕は常々思っている。サポーターが増えないのはサポーターの問題。ファンが増えないのは選手の問題。スポンサーが増えないのはクラブの問題。チームが勝てないのは監督の問題。それぞれが抱える課題を理解しなければサッカー界の未来はない。コロナでわざわざリスクを負ってまで見に来る人は減って行く。その結果、コアサポーターだけで固まり始め、ライト層や、にわかファンをどんどん取りこぼしていく。
サッカーはメジャースポーツだが、日本サッカーは本当にメジャースポーツなのだろうか。そして、選手はその疑問符が付く日本サッカー界の中であぐらをかいていていいのだろうか。今こそ本質的な目線で物事を見てアクションしなければ、Jリーグ100年構想は、次の100年を見ることなく終わっていってしまう。
サポーターはもっとサポーターが増えるためにコミュニティーのあり方を学ぶべき時代となっている。選手はファンを獲得するために技術だけではなく、自分のストーリーを見せていく必要がある。そのためには「どうなりたいか」ではなく「どうありたいか」を思考できる選手が必要になる。クラブはお願い営業をやめ、何を武器にクラブを売り出せるかを明確にするべきだ。
飛行機はファーストクラスやビジネスクラスで飛んでいる。エコノミーだけでは飛行機は飛ばない。イタリアセリエAのローマはチームの調子が悪いとサポーターがストライキを起こし、スタジアムに行かなくなる。でもそれは年間シートを買っているから経営にはダメージを与えないと分かっていて行うアクションなのだ。
クラブが優先するべきは、何を持って愛されるかということだ。僕は12月20日でJリーガーではなくなった。でも、いつまでもサッカーが大好きな小僧だ。どんな道に進んでもサッカーを愛する想いはずっと変わらない。だから別の角度から日本サッカー界を変えていきたい。
そのためには、まず自分が挑戦者でなければいけない。日本サッカー界で最初にクラウドファンディングをした(多分)男として、僕なりのやり方で、日本サッカー界のために戦い続けたいと思っている。
ありがとうJリーグ。さようならJリーガー。
(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)
◆安彦考真(あびこ・たかまさ)◆ 1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結ぶも開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退したが17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月にJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年シーズンをもって現役を引退した。175センチ、74キロ。
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