去年12月、ワールドカップ第4戦に向かう途中、小平選手は突然、担当のコーチにこう伝えました。
「先生、分かりました」
4か月考え続けていたある問いの答えが見つかった瞬間でした。
“自分は何者なのか”
この壮大な問いについて考えるきっかけとなったのが、東京オリンピックの柔道男子73キロ級で大野将平選手がオリンピック2連覇を達成したあとのインタビューです。
「自分は何者なのかを確かめるために、証明するために戦うことができました」
このことばが印象に残った小平選手は「自分の中で答えを出して、北京オリンピックのスタートラインに立ちたい」と自問自答を頭の中で繰り返してきました。
そして、その答えが突然浮かんだのが、去年の12月でした。その答えは…
「何者にもなる必要はないし、ほかの何かになろうとしていたんじゃない。私以外の何者でもない。私は私」
前回のピョンチャン大会、女子500メートルで金メダルを獲得すると周りの人が作る「小平奈緒像」と本当の自分との差に悩まされ、周りと壁を作っていたといいます。
心境が変わったのが、地元・長野を襲った2019年の台風19号による豪雨災害でした。小平選手は、練習の合間を縫ってボランティア活動に参加しました。
そこで、アスリートではなく、1人の市民として地域の人と交流を重ねていくことで徐々に自分の中に作っていた壁がなくなっていきました。そこで感じたのがありのままの自分でいることの大切さでした。
昨シーズン、股関節の違和感で一時不調に陥り結果が残せなかったときも「勝てない姿をみせることは、はずかしいとほかの選手は思うかもしれないが、それを乗り越える姿を見て、共感してもらえたらいい」と話す表情は穏やかでした。
北京大会では「自分のスケートがこれだというものを表現したい。大好きなスケートに、自分の滑りに没頭したい、ただただそれだけ」と臨みましたが、17位。
レース後、小平選手は「スタートの1歩目でつまずいたのが本当に悔やまれる。失敗も含めて、こんな表現しかできなくて、応援してくれた人に申し訳ない」と肩を落としていました。
そして1000メートルに向けては、「挑戦することしか私にはできることはないと思うので、かっこ悪くても1000メートルを歯をくいしばって、やりたい表現を氷の上にのせていきたい。氷としっかりやりとりをして、会場の空気を温かく包み込めるようなそんなスケーティングができたらいいなと思う」と前を向いていました。
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