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Saturday, December 5, 2020

虫採りの道からアフガニスタンへ 中村哲医師を導いた古里の光景 - 西日本新聞

哲ちゃんの海山(上)

 丸刈りの男の子たちの中で、一人だけ坊ちゃん風のおかっぱ頭。昭和27(1952)年、「哲ちゃん」こと中村哲は北九州から古賀に転入してきた。母が哲ちゃんのさいづち頭を気にして「坊主頭にしないでほしい」と校長先生に頼み込んでいたそうだ。

 戦後復興のさなか、福岡と北九州の真ん中にある古賀町(現・福岡県古賀市)は木材を馬車で買い付ける人々でにぎわい、幹線沿いに簡易旅館が立ち並んでいた。そのうちの一軒、「ひかり荘」が哲ちゃんの家だった。

 「お父さんは静かで気難しそう。お母さんは着物を粋に着崩して辛気くさいのが嫌いな明るい人だった」。家族ぐるみの交流があった同級生の「くみちゃん」こと木下玖美子(74)は振り返る。

 母校の古賀西小は新築されたばかり。すぐ裏が浜辺。プールがないので水泳は海。浜辺を行進して桜貝を拾い、臨海学校は教室に蚊帳をつって雑魚寝した。砂浜を駆ける「浜の運動会」では、松林の緑の中でほおばるおにぎりが子どもたちの楽しみだった。

 海岸でのスケッチの授業。子どもたちは張り切って白砂青松の風景を画面いっぱいに描いた。だが哲ちゃんは違った。松林の中に朽ち果てようとする木小屋を丁寧に描写した。「みんなが見てないものを見ていた人かもしれない」と木下は述懐する。

 坊ちゃん風で、ほかの子とは違う雰囲気をどこか漂わせながらも、どこにでもいるような、やんちゃな子の一人でもあった。

 放課後も遊び場は砂浜。家庭での煮炊き用に松葉かきをしたり、松の根元のショウロを見つけたり。競い合って松に登った。そこから、西山や犬鳴山の山並みがはるか遠くに見えた。

 海から山へ―。憧れの山々に連れて行ってくれたのは、郵便局長で自然を愛する「吉川(きっかわ)さん」だった。古賀町の東端、西山へと続く清滝地区。そこから大根川を遡(さかのぼ)ると三つの堤があり、その辺りが昆虫採集スポットだった。高学年になると毎週のように友達と誘い合い、チョウや甲虫を追って山に入った。

 「自然への興味が昆虫採集や山歩きとなり、その延長に今の生き方が築かれた」。哲ちゃんは2003年、母校の50周年記念誌にそう残している。

 「珍しいチョウがいる」という言葉にひかれ、医師として働いていた30代の哲ちゃんはパキスタン、アフガニスタン国境への登山隊に加わった。そこで出会ったのが「山奥の石小屋に閉じ込められたハンセン病患者」だったという。

 虫を追い分け入った古賀の山々が、はるかに遠いパキスタン辺境でのらい治療、そして井戸掘削や用水路開発といった人道活動へと哲ちゃんを導いたのかもしれない。(敬称略)

   ◇   ◇

 福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表を務めた中村哲さんがアフガニスタンで凶弾に倒れて4日で1年。中村さんが小1から20代までを過ごした古賀には今も彼を「哲ちゃん」と呼び、共に過ごした日々を語る人たちがいる。海山の地を歩いた。

(今井知可子)

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